三河路に春を呼ぶ
天下の奇祭「鬼祭り」
節分の夜には「鬼は外!」と豆を投げつけ、邪鬼を祓うのが慣わしです。つまり、私たちは「鬼は追い払うもの」という概念を持っています。 しかし、瀧山寺に登場する鬼たちは、逆に邪鬼を祓う役目を負っています。
瀧山寺の鬼たちを見ると、鉞・撞木・鏡餅といった依代や太陽を意味する道具類を手にしており、邪鬼を祓う鬼神であることが理解できます。
鬼面と火の乱舞
鬼祭りは、旧暦元旦から七日間、本堂で天下太平・五穀豊穣を祈る修正会(しゅしょうえ)が行われ、その最終日の結願の日夕刻に催されます。 運慶作と伝えられる祖父面・祖母面・孫面をつけた鬼が、燃え盛る炎の中から鏡餅を持って登場し、天下泰平・五穀豊穣を約束すると言われています。
鬼面を被る者は七日間、斎戒沐浴して別室で起居します。女との接触は禁止され、四足動物の肉を口にしないなどの戒律があり、炊事なども男の手によってなされます。
鎌倉時代から続く
800年の歴史
国指定重要文化財である瀧山寺本堂に巨大な松明を30数本を持ち込み、半鐘・双盤・太鼓を乱打し、ほら貝が吹き鳴らされる中で鬼が乱舞する様は圧巻で、観ている観客が延焼の心配をしてしまうほど勇壮な祭りとなります。その後、観衆は堂内に上がり、消された松明を縁起物として持ち帰ります。
祭りの起源は、源頼朝の祈願により始められたと伝えらますが、室町末期に廃絶し、その後徳川三代目将軍家光が東照宮を境内に建立し、以後幕府の行事として復活。明治初期に一時中断も、明治二十一年に再度復活し現在に至ります。
鬼面にまつわる伝説
面はもとは父面・母面もあったが、二人の旅僧が斎戒沐浴せずに父面・母面をつけて祭りを行い、面がついて離れず息絶えてしまった。この二人を薬師堂の前に葬り鬼塚として供養したため父面・母面は残っていないといわれています。
毎年の鬼祭りには五穀を炒ったものを塚の上に撒き「春秋の芽の生うる時出で来たれ」という。この撒き散らした五穀を子供のオコリの妙薬として持ち帰る風習があります。